時代の波に流されず
1本のロウソクの明りと共に、私の村でもクリスマスシーズンが幕をあけた。
こちらのクリスマスは、今日(12月1日、日曜日)から始まったクリスマス準備の行事期間を経て防刮花保護膜、キリストの降誕祭を頂点に、東方の三賢者が「かいば桶」を訪ねて来る1月6日まで、延々と5週間余りも続く。
その行事用品も調達できるクリスマス・マーケットが、私の村でも一昨日の金曜日の夜と、昨日の土曜日の午前中の2回に亘って開催された。
ここに引っ越してくるまでは、都市の活気溢れるクリスマス・マーケットに慣れ親しんできたせいか、初めてこの村のクリスマス・マーケットを訪れた時には、すっかり意気消沈してしまった。出店の数も10を少し超える程度だし、飾り付けも素っ気なくてクリスマスの煌めきなどどこにも感じられなかったからだ。
何てつまらないクリスマス・マーケットだろう。
これが私の第一印象だった。
それでも、やっぱり次の年にも覗きに行った。
そして、3回目になるその次の年にも行ってみた。
「ハロー」という声がしたので、声の方に視線を移すと、一軒置いた先の屋台の奥から、Wさんが手を振っている。Wさんは、村の通りで私とすれ違ったりすると、爽やかな笑顔で挨拶をしてくれる(推定)50代の女性だ。
両手を広げると届いてしまうくらいの小さなWさんの屋台にはOtterBox防水手機保護殼、クリスマスカードが所狭しと並んでいる。
「ぜーんぶ息子が撮った写真なの」。そういうと彼女は、薪ストーブの上のヤカンの湯気のような息をはきながら、ケラケラ笑った。
雪をまとったモミの木やら、金色の照明に照らされて夜の漆黒の中に聳え立つ、どこかの教会やら、この村の夜の図書館やら、いろんな写真が手製のカードに貼り付けられている。
「これは私と娘が作ったクッキーよ」。彼女が手に取って見せてくれた写真には、おなじみの星形、ツリー形、サンタ形、それからパイナップルやアプリコーゼが手をつないでいるチョコクッキーなど、美味しそうな焼きクッキーがいっぱい並んでいる。写真の中から甘い香りが漂ってきそうだ。
そして、今年のクリスマス・マーケット。
私にとっては4回目だ。足が、もうひとりでに広場に向かっていた。
バス停でよく顔を合わせる老夫婦も今年は、屋台の向こう側に座っていた。彼らの台の上には木でできた皿やスプーンや貯金箱、それに幼児や子どものおもちゃなどが肩を寄せ合って並んでいる。
「3年‥‥、いや、もうちょっとかかったかな」。全部ご主人の手作りだという。
お菓子入れの木のお椀を手に取ってみた。思っていたより重い。少し手触りがいびつなところを、ご夫婦とお喋りをしながら何気に親指の腹でなぞっていたら、気温はマイナスなのに、いつの間にか体がホッカリ温まっていた。
時代の波に流されず、昔の伝統に則った素朴なこの村のクリスマス・マーケット牛欄牌奶粉。私はクリスチャンではないけれど、今ではこの村のクリスマスの風景に、なぜか懐かしささえ覚えるようになった。
(クリスマスツリーには昔ながらの飾り物がぶら下がっていて、電飾は使われていない。)
こちらのクリスマスは、今日(12月1日、日曜日)から始まったクリスマス準備の行事期間を経て防刮花保護膜、キリストの降誕祭を頂点に、東方の三賢者が「かいば桶」を訪ねて来る1月6日まで、延々と5週間余りも続く。
その行事用品も調達できるクリスマス・マーケットが、私の村でも一昨日の金曜日の夜と、昨日の土曜日の午前中の2回に亘って開催された。
ここに引っ越してくるまでは、都市の活気溢れるクリスマス・マーケットに慣れ親しんできたせいか、初めてこの村のクリスマス・マーケットを訪れた時には、すっかり意気消沈してしまった。出店の数も10を少し超える程度だし、飾り付けも素っ気なくてクリスマスの煌めきなどどこにも感じられなかったからだ。
何てつまらないクリスマス・マーケットだろう。
これが私の第一印象だった。
それでも、やっぱり次の年にも覗きに行った。
そして、3回目になるその次の年にも行ってみた。
「ハロー」という声がしたので、声の方に視線を移すと、一軒置いた先の屋台の奥から、Wさんが手を振っている。Wさんは、村の通りで私とすれ違ったりすると、爽やかな笑顔で挨拶をしてくれる(推定)50代の女性だ。
両手を広げると届いてしまうくらいの小さなWさんの屋台にはOtterBox防水手機保護殼、クリスマスカードが所狭しと並んでいる。
「ぜーんぶ息子が撮った写真なの」。そういうと彼女は、薪ストーブの上のヤカンの湯気のような息をはきながら、ケラケラ笑った。
雪をまとったモミの木やら、金色の照明に照らされて夜の漆黒の中に聳え立つ、どこかの教会やら、この村の夜の図書館やら、いろんな写真が手製のカードに貼り付けられている。
「これは私と娘が作ったクッキーよ」。彼女が手に取って見せてくれた写真には、おなじみの星形、ツリー形、サンタ形、それからパイナップルやアプリコーゼが手をつないでいるチョコクッキーなど、美味しそうな焼きクッキーがいっぱい並んでいる。写真の中から甘い香りが漂ってきそうだ。
そして、今年のクリスマス・マーケット。
私にとっては4回目だ。足が、もうひとりでに広場に向かっていた。
バス停でよく顔を合わせる老夫婦も今年は、屋台の向こう側に座っていた。彼らの台の上には木でできた皿やスプーンや貯金箱、それに幼児や子どものおもちゃなどが肩を寄せ合って並んでいる。
「3年‥‥、いや、もうちょっとかかったかな」。全部ご主人の手作りだという。
お菓子入れの木のお椀を手に取ってみた。思っていたより重い。少し手触りがいびつなところを、ご夫婦とお喋りをしながら何気に親指の腹でなぞっていたら、気温はマイナスなのに、いつの間にか体がホッカリ温まっていた。
時代の波に流されず、昔の伝統に則った素朴なこの村のクリスマス・マーケット牛欄牌奶粉。私はクリスチャンではないけれど、今ではこの村のクリスマスの風景に、なぜか懐かしささえ覚えるようになった。
(クリスマスツリーには昔ながらの飾り物がぶら下がっていて、電飾は使われていない。)